2009年2月23日月曜日

つぼにきた

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クール観の違い, ゲーム開発における日米の違い

で、採用の基準になってる「クール」ってなんなのよ、って話。あるアメリカ人デザイナ曰く「ゲームにおいて、すべての人間は殺されるべきだし、すべての建造物は破壊されるべき。それができないゲームはサック」と。俺は内心「わー、このヒト気違いだわー」と思った。だが、その発言を受けて周りのデザイナが「すべてのゲームにもっと流血を!もっと爆発を!」とシュプレヒコールをあげるのを前に、彼らなりの共通認識を受け入れざるを得なかった。というか、北米市場に出回るゲームを見れば、彼らがいかにそれらを求めているか容易に確認できる。たぶん、日本人が「侘び寂び」の感覚を共有しているように、彼らの魂は硝煙と血の臭いでつながっているに違いない。死体のリアルな挙動や、おっさんのリアルな血管やヒゲなど、俺にはどうしてそこまで情熱をかけれるのか、と不思議なことも、彼らにしたら当然追い求めるべきことのようであった。そして、重要なことだが、ユーザーも同じくゲーム会社がそれらを追い求めることに何の疑問も抱いていない。

はい、私は遊んでるときなんでも壊そうとしました。ざんげします。そして正しかったことを今知りました。てか、そういう発想じゃなきゃGTAとかpostalとか作らないよな。GTAもpostalももって無いけど。古くはDoomとかQuakeとかMarathonとかのいわゆるFPSだよね。いまはFPSのチーム試合のTV放映とかあるのかな?

個人的に名作だと思うのはPopulousとSim City、A列車で行こう3(PS2で出したやつはジャンク)とか。

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